フィリッポ・ブルネレスキ フィレンツェの大聖堂 技術が時代を超えた建物

万能の人 ブルネレスキ
先日放映されたTBSの「世界遺産」はフィレンツェの歴史地区の特集だったのだが、本来歴史遺産か大自然の特集であるこの番組が、今回に限ってはルネサンスの建築家であるブルネレスキの特集であった。

トスカーナの大地全てに影を落とすといわれたフィレンツェの大聖堂のドーム。フィリッポ・ブルネレスキは、直径55m、最頂部で高さ100mをゆうに超えるこのドームをたった一人の力で実現させた。ドームの構造の発明はもちろんのこと、高さ60mの空中にドームを足場なしに組み上げる工法を発明し、レンガの積み方を発明し、工事に必要な道具まで発明したのである。建築家でありそして革新的な彫刻家でもあったブルネレスキはいわばルネサンスの「万能の人」であった。ルネサンスという時代はこのドームの建造をもって幕を開けたといってもよいだろう。後世になってミケランジェロがローマのサン・ピエトロ大聖堂の建設に携わった際、「あれより高くは作れるが、あれより美しく作ることはできない。」といったのは有名な逸話である。

さて、ブルネレスキの業績とその異能の才、そしてその歴史的意義については、美術史家 岡崎乾二郎氏の『ルネサンス 経験の条件』に詳しい。このこの上もなく美しい本もまた、より多くの人に知られるべき必読の書であると思う。それはミシェル・フーコーの『言葉と物』の美術版ともいえる本であり、そしてさらに広い問題提起を含む本だ。

ルネサンス 経験の条件』 出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480873279

建築という他者

フィレンツェの大聖堂の内部は、後世に作られた装飾的な外観とはうって変わって非常にシンプルである。内部には同時代やその後の建築に見られるような装飾はされておらず、古典建築を見慣れた目には、何か物足りなさを覚えるくらいシンプルなのだ。元来、キリスト教の聖堂空間はある中心性を持っている。聖堂の建築形式を問わず、聖堂はある空間的な中心(つまりキリストのおわす場所)を備えているのである。そして聖堂全体の空間構成や装飾はその中心へと向けて組織されていくのだ。

さて、フィレンツェの大聖堂の巨大な内部空間では、どこかそうした中心への意識が希薄である。いわばそこにはただ、圧倒的な空気のヴォリュームだけが存在しているようなのである。確かに荘厳さや巨大さでは、サン・ピエトロ大聖堂のほうが上だ。だが、このヴォリューム感はサン・ピエトロ大聖堂にないものなのだ。そしてその理由はなにやらとてもシンプルなものだったように思う。多分、完成したら想像していたより大きかったのだ。つまり、ブルネレスキの発明した数々の技術が結果的に、当時の人間の想像を越えるスケールのものを作り上げてしまったのである。そのおおらかなヴォリューム感はまさに人間中心の自由なルネサンス文化の先駆けとなった。

我々はそこに技術が時代を、「もの」が「人間」のコントロールを超えた現場を見ることができるように思う。確かに大聖堂の全体はブルネレスキの手によるものではない。だが、この空気の質が、革新的ともいえるブルネレスキの巨大ドームによるものであるのは疑いようがない事実だ。

技術は時に人間の想像力を凌駕するものを作り上げてしまう。つまるところ建築は常に人間の他者なのだ。だがそれもまた、建築の可能性の一側面であるのだろう。